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幻の東京オリンピックは世界へテレビ中継されるはずだった

 エンブレムのデザインで揺れる2020(平成33)年開催予定の東京オリンピック。オリンピック開催は単にスポーツの祭典というだけではなく、重要な国家事業として位置づけられています。前回の1964(昭和39)年の東京オリンピックは敗戦から見事に復興して、国際社会へ復帰した日本を世界にアピールする大事業でした。その前、1940(同15)年に予定されていた幻の東京オリンピックもまた、日本の力を広く世界へ誇示するためのものだったのです。日本一古い歴史を持つエレクトロニクス業界紙「ラジオ公論」(現在は「オール電気」)の歴史をまとめた「ラジオの昭和史」の中から幻の東京オリンピックの章を再編集しました。


 それは全世界へ向けてのテレビ放送という日本のエレクトロニクスの技術力を見せる画期的なものになるはずでした。日中戦争の激化、日米の関係の悪化など、最早国内ではオリンピックどころではなくなり、1938(昭和13)年に中止が決定されたのです。

 幻のオリンピックとなった東京オリンピックが計画通りに昭和15年に開催されていれば、オリンピック競技のテレビ中継が世界へ放送されていたのです。テレビ電波が海外へ飛ぶのは1957 ( 昭和32 ) 年に初のテレビの宇宙中継まで待たなければいけませんが、歴史にもしがあるならばそれよりもずっと以前に実現していたのです。
 しかもケネディー大統領の暗殺を伝える悲報ではなく、オリンピックで活躍する世界の選手の表情を伝えたはずです。

 逓信省日本放送協会は1937(昭和12)年春に共同で委員会を作って、東京オリンピックの放送設備と予算計画を練り上げた「東京オリンピック放送計画」が策定しています。
 それは総予算は4275万400円で、このうち逓信省が1581万5400円、日本放送協会が2693万5000円をそれぞれ負担するというものでした。設備計画は国内放送と国際放送に分けて組まれていました。


 国内放送設備は、競技場内に2、3の録音用アナウンサーボックスを設けるほか水泳、馬術、自動車、拳闘、ホッケーの競技場にもボックスを設ける計画で、増幅器、信号盤、監視盤なども設置する予定になっていました。
 また競技場と放送本部を結ぶために連絡用電話を架設し、競技場と放送局の間はケーブルを敷設する計画を立てています。ヨット、ボート、マラソンなどの競技には、無線中継器を導入することを考えていました。

 

 これに合わせて新しい東京放送会館をオリンピック開催までには建設する予定になっていました。すでに大阪には新局舎が完成していました。計画書には新東京放送会館の中に増幅盤、信号盤など8つの中継設備を設け、オリンピックまでに東京、大阪、名古屋、京都、横浜、神戸、松山、北九州で超短波によるテレビ放送を開始する予定だとしています。東京・大阪間の中継は同心ケーブルで、大阪・北九州間は超短波を使うとしています。

 これらの設備はすべて大会期間中に限定した臨時のものですが、大会終了後も使用する恒久設備として大阪と北九州に100キロ二重放送施設、根室、青森、米沢、福島、飯田、姫路、福山、宇和島、松山、萩、久留米、佐世保、大分など19カ所に小電力放送局を設置する計画でした。

 

 一方、国際放送用の設備はヨーロッパ、米国、アジアなどへ向けての国際放送用送信機として、50キロワットタイプを5台、20キロワットタイプ5台、アジア向けとしては10キロワットタイプ6台を設置するとしています。
 これらの送信機は写真電送にも利用され、放送閑散期には主要方面に向けては2台以上の送信機を使うことが望ましいとしていました。


 またいずれも電信電話兼用タイプであり、オリンピック終了後には海外へ向けての電信電話、海外放送用として転用が考えられていました。
 予算のうち臨時施設に100万円、恒久施設に1014万9400円が充てられ、またテレビ施設に1856万1000円、国際放送設備に835万円とされていました。