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関西初の民放テレビ局 大阪テレビ

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公開市民講座「大阪大学21世紀懐徳堂塾 OSAKAN CAFE」
のもよう。元OTV社員たちが集まった

 

◆毎週土曜日午後7時半から朝日放送(ABC)で40数年にわたって放送されたドラマ「部長刑事」は、どんな難事件でも30分で解決してしまうことで知られていた。

 この長寿番組は1958年に放送が始まって、2002年に終了しているいる。実は放送開始当時はABCではなく、大阪テレビ放送(OTV)だったことを知る人は少なくなっている。開局してすぐのOTVで1年間放送されたのち、ABCで再開している。

 それにはテレビ放送草創期ならではの理由があった。開局間もないOTVは、59年にABCと合併しており、番組がABCで放送されることになったのはそれに伴うものだった。

◆OTVが開局したのは56(昭和31)年で、12月1日に本放送を開始している。関西で初めてテレビ放送を行った民放テレビ局なのである。
 しかし、わずか3年後の59(昭和34)年6月には、ラジオ局であった朝日放送と合併して、朝日放送テレビと姿を変えて、OTVは消えてしまった。

 OTVは朝日新聞社、毎日新聞社、朝日放送新日本放送(後の毎日放送)の出資で設立され、それぞれの出資会社やNHK、電通などからも若い人材が集められた。関西電力や大阪ガスなど関西を代表する大手企業の多くが、CMや番組作りに協力しており、後に「900日間の空中博覧会」とまで言われたほど、各社のPR合戦が繰り広げられたという。

 「部長刑事」も、大阪府警が制作に協力し、大阪ガスがスポンサーとして番組を支えた。

◆この幻の大阪テレビを知ろうと、2013年3月3日、すでに70代、80代になっている元OTVの社員から当時の話を聞く、公開市民講座「大阪大学21世紀懐徳堂塾 OSAKAN CAFE」が、大阪市北区の京阪電車なにわ橋駅構内にあるアートエリアB1で開かれたので参加してきた。

 前述の「部長刑事」や「料理手帖」などといったオリジナル番組を制作し放送したほか、富士山頂からの生中継、自衛隊ヘリからの空中撮影といった当時としては画期的な放送をするなど、新しいメディアの可能性に挑んでいた。

 この日は、当時のカメラマン、アナウンサー、美術や管理部門の社員たちが集まって制作秘話などを披露した。

 開局した年の5月に入社して事業部で街頭テレビの設置業務を担当したた男性は「当時、関西のテレビ受像機の普及台数はわずか5500台であった。我々は60台の25インチテレビを設置することに努めていた」と語っていた。

 また元アナウンサーの女性からは「最近の民放がつまらないといった声が身近なところから聞こえてくるのは誠に残念に思います」と話し、進取の気象を持って番組作りをしていたテレビ草創期の気概を今のテレビマンに求めていた。