◆日本橋の新たなファンを育てようと始まった日本橋電子・ロボット工作教室。そのきっかけを作ったのは共立電子産業の蘇建源会長であったことは、すでにふれた通りである。今まで数多くの小中学生に電子工作の楽しさを教えながら、電気の街の魅力も教えてきた。そこで学んだ子どもたちの中には、電気系の学校や企業へ進んだケースも少なくはない。手作りロボットを競い合うロボカップの世界大会で優勝する子どもたちもいた。その彼らがさらに年下の子どもたちの電子工作やロボット作りを指導するようになっているのだから、当初のねらいは少しずつ実現しつつある。
電子工作教室やロボット教室は次世代の日本橋ファンを育てようと、今から15年ほど前に始まった。
提案者の蘇会長がその成果に「手応えを感じている」というのも頷けるし、次の日本橋を支えるユーザーたちを育てる企ての「答えは出始めている」(蘇会長)のも、その通りである。
そうした教室を支えてきたのは会社勤めの第一線を退いた、アマチュア無線のマニアや電気好きの人たちでもあった。無報酬で子どもたちの指導や教室開催の準備に携わってきた日本橋が大好きな人ばかりなのである。
日本橋電気街の表通りの堺筋(日本橋筋)からは家電専門店が姿を決してしまった。ところが逆にパーツショップは、東京などから進出する店舗が見られるなど、衰えるどころかエレクトロニクスモノづくりの街日本橋を支える重要な存在となっている。
日本橋筋から一筋東へ入った通りが今「ものづくりロード」と呼ばれてパーツショップが集中している。エレクトロニクス系のモノづくりを楽しむ人たちにとっては、ニーズを満たしてくれる欠かせない街となっているのだ。
彼らにとって電子パーツは欠かせない。たとえば電源を作ろうと思えばトランスが必要になる。アマチュアがそうしたものを容易に手することができるのは日本橋しかないのである。そうした商品を身近に供給し続けてきた日本橋の電気街は今、モノづくりパーツの街へと生まれ変わりつつある。
日本橋は家電の街になる以前から部品の街であった。昭和30年代に家電の街に変貌する以前、戦後の復興期にまず1店2店と軒が並び始めたのはラジオパーツをはじめとする部品店であった。電気街日本橋は部品(パーツ)の街として発展し、今日の姿を作ってきたと言ってもいい。
その中でどちらかと言えば後発の共立電子産業は、ジャンク品の販売からスタートして、ICからマイコン、パソコンへと扱い商品を拡大して日本を代表する電子部品専門販売店にまで成長している。
安いものを買って完成度の高いものを作ろうという四畳半メーカーやベンチャー企業の経営者や技術者たちは、そうした日本橋のパーツショップの売り場に潜むジャンクなどの商品から自社製品のアイディアを得て、日本を代表する企業へと成長して企業も少なくはない。